2018年07月01日

北極圏に住むイヌイットたちの中耳炎

 今年はもう梅雨明けとなり、記録的な早さのようだ。鎌倉では真夏の日差しが肌に刺すようで、サーフボードを担ぐ若者(ここ鎌倉では中年も多い)や観光客を乗せる人力車の引き手たちは、すでに真っ黒に日焼けしている。こう暑くなるとカナダ留学時代の北極圏診療のことを思い出す。

  カナダの地図を見るとその広大さに圧倒されるが、10の州と3つの準州から構成されている。準州とはカナダ連邦から完全に独立した州ではなく、その管理下に自治を認められた地域で、北極圏を含めて国土の半分くらいが準州となっている。私がレジデントとして臨床研修を行ったアルバータ州立大学医学部はノースウエスト準州の医療も担当しており、数ヶ月に1回は北極圏診療班として医療グループを派遣していた。日本での地域医療への診療出張は遠くてもたかだか車で2-3時間であろうが、さすがに広大なカナダではジェット機で5時間、しかも途中のイエローナイフで給油という気が遠くなるような距離であった。北極圏の中心地のイヌービックに到着し、ジェット機の扉が開くと、私が訪れたのが2月という厳寒期でもあったため、凍りつくような寒気が入り込んできて、ここが極寒の地であることを思い知らされた。

 北極圏のほとりの村、タクトヤクタクの診療所に行くためには、このイヌービックの町からさらにセスナ機で1時間近く飛ばなければならなかった。セスナ機から見下ろす世界は白一色で形のあるものは何もない。こんなところで遭難したら助からないだろうな・・・と不吉なことを思いながら、若く少し頼りなさそうな操縦士を盗み見た。冬の北極圏診療が大学病院の若いレジデント達にとても怖い(危険で)旅のため敬遠されていた理由が分かった。タクトヤクタクの小さな飛行場に降り立ち、周りを見渡すと樹木が全くない。そうなのだ、ここはツンドラで樹木が生育できない北限の地だったのである。雪上車に乗って診療所に到着すると、イヌイット(昔は「エスキモー」と呼ばれていたが、これは「肉を食らう人」という意味の蔑視語であるとして現在は使われていない)の患者さん達が大勢診察を待っていた。

 イヌイット達には中耳炎が多い。これは家族が常に密接して生活していることと免疫力が低いために、子ども達や親子間で細菌が容易に感染・伝播してしまうためではないかと推測されている。パプアニューギニアの原住民やオーストラリアのアボリジニの人たちにも、同じ理由で中耳炎の発症が多いことが知られている。診療所では、5歳の男の子が中耳炎のために聴力障害を示していたため、手術が必要なことを説明し、その子と母親を乗せてすでに夕暮れとなったタクトヤクタクを飛び立った。病院のあるイヌービックへ向かう飛行機の中で母親と話す機会があった。イヌイットの子どもたちの教育は現在ではすべて英語で行われており、イヌイット語を話すのは高齢者しかいないそうである。因みに北極圏では冬期には村ごとに孤立して交流がほとんどなかったために、50以上のイヌイット語が存在するとのこと。実際にタクトヤクタクの診療所でも高齢者の診察の際には現地の通訳がついており、患者が話すイヌイット語の症状を英語に通訳して私に伝えてくれた。

 現在、地球上のあらゆる所に旅行することができ、旅慣れた日本人の旅行者には北極、南極の極地や秘境の人気が高いようである。しかし今でもイヌイットの人々にとっては多分私が初めての日本人であり、しかも治療をしてくれる医者であったと思う。私が診察、手術をした子ども達はもう地域を担う青年に成長しているので、彼らが日本人の私に良い印象をもってくれていることを切に願っている。

 写真1:イヌービック空港から頼りないセスナ機で北極圏に出向く際の写真

写真2:タクトヤクタクの診療所で診察したイヌイットの兄弟

両写真ともに私と同じように経年変化が進んでいるので悪しからず。

posted by Nobi Yamanaka at 15:54| Comment(0) | 日記
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