2018年07月22日

マイナス50℃の超低温庫の世界と顔の曲がった彫刻

まるでサウナの中にいるかのような猛暑の毎日が続いている。この週末にカメラを担いで家の外に出るとファインダーの景色が白くぼやけているではないか!まさにサウナか、と驚き、レンズをみると湯気でぬれている。これでは散策という気分にもなれない。すごすごとクーラーの効いた家に舞い戻った次第である。冷蔵庫にでも入りたい気分で、冬のカナダ診療記の続きを綴る。

カナダで外科レジデントとして臨床研修をしていたときに、北極圏への医療グループの一員として派遣された。私がこの診療班に加わったのは2月という極寒の季節で、カナダ人のレジデントたちも敬遠する時期であった。イヌービックという北極圏の中心の町に到着して、そこの病院でカナダインディアンの患者を診察後、町のレストランで食事するために外にでると、そこはまるで冷蔵庫の中に入ってしまったような冷気であった。相当な厚着で十分覚悟していたはずであったが、レストランに着くまでの10分のうちに、下半身は痺れて、外気に接している顔面は完全にこわばって口が開かないために会話も出来なくなってしまった。レストランに向かう道すがら道路の反対側をカナダインディアン風の男性がよろよろしながら歩いていたのを見つけた。この寒さの中を十分な防寒着を着ておらず大丈夫なのかなと、同行のカナダ人医師に問いただすと、彼らの多くがアルコール中毒で、この寒さをしのぐにはアルコールを飲まずにはいられないのか、政府からの援助金などはほとんどアルコールに費やしてしまうようだ。レストランのドアを開けると、気持ちの良い暖気と旨そうな料理の匂いが、寒さで痺れていた顔と鼻孔を緩め、だらしなくニヤニヤと天国にいる気分にしてくれた。ウエイターに外の気温が何度なのかと聞くと、ドアの外の気温計はマイナス50℃を指しているよ、と何でもないような顔で教えてくれた。正に超低温庫の世界であった。

 私が留学したエドモントン市はアルバータ州の州都で、50万近い人口を有する都市としてはもっとも北に位置する街である。絵画や彫刻が好きなので良くギャラリーにも出かけたが、あるギャラリーで不思議な彫刻を見つけた。イヌイット(いわゆる“エスキモー”)の顔の彫刻であり、作者はLeroy Henry 1995年とある。作者自身もイヌイットで、ややデフォルメしたシロクマやオオカミなどの彫刻が数多くあり、比較的名の知られた彫刻家のようだ。私が興味を引かれたのは、左側の顔が麻痺しているかのように曲がっており、医学的には顔面麻痺の彫刻だったからだ。なぜこのような顔を彫ったのか、ギャラリーの人にその由来を聞いてみたが誰も知らなかった。北極圏の診療でイヌイット達には、耳の病気(中耳炎やその進行した真珠腫性中耳炎など)が多いことを知り、エドモントンの研修病院で進行したイヌイット達の耳の手術を多数行った。中耳炎が進行すると側頭骨内を走行する顔面神経が障害され、顔面麻痺をおこすことが少なくない。作者の周囲にこのような顔面麻痺を発症したイヌイットが少なからずおり、その人たちをモデルに彫刻を作成したのではないかと推測している。この彫刻は今も私の部屋に鎮座しており、いつも極寒の地での鮮烈な経験を思い出させてくれる。

写真1:極寒のイヌービックの町

写真2:顔面麻痺の彫刻

posted by Nobi Yamanaka at 21:29| Comment(0) | 日記

2018年07月01日

北極圏に住むイヌイットたちの中耳炎

 今年はもう梅雨明けとなり、記録的な早さのようだ。鎌倉では真夏の日差しが肌に刺すようで、サーフボードを担ぐ若者(ここ鎌倉では中年も多い)や観光客を乗せる人力車の引き手たちは、すでに真っ黒に日焼けしている。こう暑くなるとカナダ留学時代の北極圏診療のことを思い出す。

  カナダの地図を見るとその広大さに圧倒されるが、10の州と3つの準州から構成されている。準州とはカナダ連邦から完全に独立した州ではなく、その管理下に自治を認められた地域で、北極圏を含めて国土の半分くらいが準州となっている。私がレジデントとして臨床研修を行ったアルバータ州立大学医学部はノースウエスト準州の医療も担当しており、数ヶ月に1回は北極圏診療班として医療グループを派遣していた。日本での地域医療への診療出張は遠くてもたかだか車で2-3時間であろうが、さすがに広大なカナダではジェット機で5時間、しかも途中のイエローナイフで給油という気が遠くなるような距離であった。北極圏の中心地のイヌービックに到着し、ジェット機の扉が開くと、私が訪れたのが2月という厳寒期でもあったため、凍りつくような寒気が入り込んできて、ここが極寒の地であることを思い知らされた。

 北極圏のほとりの村、タクトヤクタクの診療所に行くためには、このイヌービックの町からさらにセスナ機で1時間近く飛ばなければならなかった。セスナ機から見下ろす世界は白一色で形のあるものは何もない。こんなところで遭難したら助からないだろうな・・・と不吉なことを思いながら、若く少し頼りなさそうな操縦士を盗み見た。冬の北極圏診療が大学病院の若いレジデント達にとても怖い(危険で)旅のため敬遠されていた理由が分かった。タクトヤクタクの小さな飛行場に降り立ち、周りを見渡すと樹木が全くない。そうなのだ、ここはツンドラで樹木が生育できない北限の地だったのである。雪上車に乗って診療所に到着すると、イヌイット(昔は「エスキモー」と呼ばれていたが、これは「肉を食らう人」という意味の蔑視語であるとして現在は使われていない)の患者さん達が大勢診察を待っていた。

 イヌイット達には中耳炎が多い。これは家族が常に密接して生活していることと免疫力が低いために、子ども達や親子間で細菌が容易に感染・伝播してしまうためではないかと推測されている。パプアニューギニアの原住民やオーストラリアのアボリジニの人たちにも、同じ理由で中耳炎の発症が多いことが知られている。診療所では、5歳の男の子が中耳炎のために聴力障害を示していたため、手術が必要なことを説明し、その子と母親を乗せてすでに夕暮れとなったタクトヤクタクを飛び立った。病院のあるイヌービックへ向かう飛行機の中で母親と話す機会があった。イヌイットの子どもたちの教育は現在ではすべて英語で行われており、イヌイット語を話すのは高齢者しかいないそうである。因みに北極圏では冬期には村ごとに孤立して交流がほとんどなかったために、50以上のイヌイット語が存在するとのこと。実際にタクトヤクタクの診療所でも高齢者の診察の際には現地の通訳がついており、患者が話すイヌイット語の症状を英語に通訳して私に伝えてくれた。

 現在、地球上のあらゆる所に旅行することができ、旅慣れた日本人の旅行者には北極、南極の極地や秘境の人気が高いようである。しかし今でもイヌイットの人々にとっては多分私が初めての日本人であり、しかも治療をしてくれる医者であったと思う。私が診察、手術をした子ども達はもう地域を担う青年に成長しているので、彼らが日本人の私に良い印象をもってくれていることを切に願っている。

 写真1:イヌービック空港から頼りないセスナ機で北極圏に出向く際の写真

写真2:タクトヤクタクの診療所で診察したイヌイットの兄弟

両写真ともに私と同じように経年変化が進んでいるので悪しからず。

posted by Nobi Yamanaka at 15:54| Comment(0) | 日記

2018年06月02日

長谷寺の鐘と裏山のウグイス

鎌倉の長谷に移り住んで半年となる。近くには花寺として有名で、一年中花が絶えることのない長谷寺があり、6月にはアジサイの花が寺院の山全体を覆い尽くす。さらに鎌倉のシンボルである鎌倉大仏が鎮座する高徳院も歩いて数分のところにあるため、週末だけでなく平日も観光客があふれている。ちなみに鎌倉には年間2000万人近くの観光客が訪れており、鎌倉在住の住民数と比較すると鎌倉駅前を往来する100人のうち、住民はたった1人〜2人しかいないことになるという。

住居はそのような通りから少し奥まった場所にあり、裏は川端康成一族が所有する緑あふれる山で囲まれているため(近くに川端康成記念館や鎌倉文学館がある)、長谷通りや由比ヶ浜通りの喧噪からは隔絶されている。一族は山を整備するつもりがないのか木々がのびるに任せているため、うっそうとして小鳥やリスたちの格好のすみかになっているようだ。3階の部屋の窓からはこのうっそうとした緑の木々と、木々の合間から星の井通りの家々の向こうに由比ヶ浜の海岸が眺められる。

おかげで週末の朝は8時に鳴る長谷寺の鐘の音と、ホーホケキョ、ケキョケキョと耳にやさしいウグイスの鳴き声を楽しんでいる。週末は運動を兼ねて、カメラを担いで古都鎌倉の街並みを歩く時間も取れるようになってきたので、このブログの「鎌倉逍遙」では私の目(+味)と足で感じた鎌倉を少しずつ紹介したい。

「鎌倉逍遙」

写真1:自宅から鎌倉駅に向かう裏通りから眺めたガイドブックでみることのない大仏

写真2:鎌倉市役所の前にあるチーズショップのウインドウの影絵

posted by Nobi Yamanaka at 15:53| Comment(0) | 日記